キーワード:寝屋川出身/モナキ/おヨネ/堀溝小学校/第七中学校
2026年4月にメジャーデビューし、一気に全国区の存在となった歌謡グループ「モナキ」。その最年少メンバーとして黄色の衣装をまとい、おかっぱ頭のトレードマークで強烈な個性を放っているのが「おヨネ」さんです。そして、このおヨネさんこそが正真正銘の寝屋川出身。寝屋川市立堀溝小学校に通い、寝屋川市立第七中学校の学園祭で初めて人前で歌い、深北緑地で泥だらけになって遊んだ少年が、いま日本レコード大賞新人賞と紅白歌合戦を目標に掲げているのです。
この記事では、寝屋川市の広報誌「ふるさとねやがわ」令和8年8月号のインタビューや公式プロフィール、ラジオでの発言など公表されている情報をもとに、寝屋川出身のモナキ・おヨネさんの歩みを、堀溝小学校・第七中学校といった地元のキーワードとあわせて紹介します。
1. 寝屋川出身のモナキ・おヨネとは?基本プロフィールをおさらい
まずは基本情報を整理しておきましょう。公式プロフィールによると、おヨネさんは1997年8月15日生まれの28歳。出身は大阪府寝屋川市、血液型はA型、身長は172センチ、グループ内の担当カラーは黄色です。幼いころから歌うことが大好きで、高校時代にはテレビの歌唱バトル番組にも出場した経歴を持ちます。ちょっと意外な特技として、ゲーム「太鼓の達人」の腕前も相当なもので、段位道場は9段だと公表されています。
所属する「モナキ」は、じんさん、おヨネさん、サカイJr.さん、ケンケンさんの4人組。歌謡グループ・純烈のリーダーである酒井一圭さんがプロデュースする、いわば純烈の弟分ユニットです。グループ名の「モナキ」は、古語の「名もなき」「心もなき」「物もなき」といった表現の短縮形に由来しており、無名から這い上がるというグループの立ち位置そのものを表した名前だと言えるでしょう。
デビューシングルは「ほんまやで☆なんでやねん☆しらんけど」。2026年2月25日にTikTokや各配信サイトで先行配信がスタートし、4月8日に正式なメジャーデビューを迎えました。関西弁を全面に押し出したアップテンポな一曲は、耳に残るフレーズとダンスでSNSを席巻。関連動画の総再生数は13億回を突破し、2026年の上半期にはTikTokのトレンド大賞で大賞を受賞するという快挙も成し遂げています。寝屋川出身のメンバーがここまでの勢いを見せているというのは、地元にとってかなり誇らしい話です。
2. すべての原点、寝屋川市立堀溝小学校の日々
おヨネさんが通っていたのは、寝屋川市立堀溝小学校です。所在地は寝屋川市堀溝三丁目10番8号。昭和45年に寝屋川市立南小学校から分離して開校した歴史ある小学校で、京阪本線の萱島駅からもJR学研都市線の四条畷駅からも1.5キロ前後という、市の東部エリアに位置しています。「豊かな心を育み、心身を鍛え、よく学ぶ子」を教育目標に掲げ、地域と連携した教育活動に力を入れてきた学校としても知られています。
寝屋川市の広報誌のインタビューで、おヨネさんは堀溝小学校から帰ると深北緑地でよく遊んでいたと振り返っています。しかも当時は深北緑地のことを「恐竜公園」と呼んでいたのだそうです。深北緑地といえば、寝屋川市治水緑地として整備された大規模な公園で、なかでも恐竜の遊具が並ぶ恐竜広場は、寝屋川市や近隣の門真市・四條畷市の子どもたちにとって定番中の定番のスポット。あの恐竜のすべり台で遊んだ記憶がある寝屋川出身の方は、相当な数にのぼるはずです。
2026年6月5日に放送されたラジオ番組「霜降り明星のオールナイトニッポン」にゲスト出演した際も、おヨネさんは深北緑地の恐竜広場やイオンモール四條畷によく行っていたと語り、地元トークで大いに盛り上がりました。最寄り駅を聞かれて京阪の萱島駅だと答える場面もあり、全国放送のラジオで萱島駅の名前が出たことに、寝屋川市民からは親近感がわくという反応が相次いだといいます。
堀溝小学校区は、堀溝のほか河北中町・河北西町・河北東町といった町名を含むエリア。少し歩けば大きな公園があり、買い物にも食事にも困らない、いかにも寝屋川らしい生活圏です。おヨネさん自身も、26歳まで暮らした実家周辺の利便性の高さと公園の多さを、寝屋川の良さとして挙げています。
3. 歌のルーツは寝屋川市立第七中学校の学園祭にあった
堀溝小学校を卒業したおヨネさんが進んだのが、寝屋川市立第七中学校です。堀溝小学校の卒業生は学区としてそのまま第七中学校へ進学するため、この流れはごく自然なもの。第七中学校の所在地は寝屋川市讃良東町1番1号で、1972年に寝屋川市立第一中学校から分離して開校し、翌1973年に現在地へ移転しました。第七中学校区は、第七中学校・南小学校・堀溝小学校の3校で構成される「河内野くすのき学園」として、小中一貫的な連携教育を進めていることでも知られています。
そして、この第七中学校こそが、おヨネさんにとっての歌の原点です。市の広報誌のインタビューによれば、第七中学校の学園祭で、同級生のピアノ伴奏に乗せて女性歌手のものまねを披露したのが、人前で歌った最初の経験だったといいます。おヨネさん自身、この体験が自分の歌のルーツかもしれないと語っています。中学校の体育館で行われる、あの手作り感のある学園祭のステージ。そこで生まれた小さな高揚が、10年以上の時間をかけてメジャーデビューにつながったと考えると、なかなかに感慨深い話です。
一方で、部活動での顔はまったく違いました。おヨネさんが第七中学校で入部したのは、なんと卓球部。ピンポン球がポンポンと跳ねる音が好きだったから、という理由がいかにも彼らしいところです。しかも3年生のときには部長を務めており、そのときに部をまとめることの難しさを実感したと明かしています。歌のイメージが強いおヨネさんが、中学時代は運動部でキャプテンとして仲間を束ねる立場にいた。この経験が、グループとして動くいまの活動にも生きているのではないでしょうか。
ちなみに第七中学校は、イオンモール四條畷まで直線で約500メートルという立地。放課後にふらりと立ち寄れる距離感で、おヨネさんがイオンモール四條畷をよく訪れていたというエピソードにも納得がいきます。
4. 四條畷高校のコーラス部から、龍谷大学のアカペラサークルへ
第七中学校を卒業したおヨネさんは、大阪府立四條畷高等学校に進学し、コーラス部に所属します。歌のつながりをもっと広げたいという思いから、週末には寝屋川市内のカラオケ喫茶に通い、歌謡曲のレパートリーを増やしていったといいます。同世代の集まるカラオケボックスではなく、大人たちが集うカラオケ喫茶で歌謡曲を覚えていた。この時点でかなり独特な音楽体験を積んでいたことになります。
そして、このカラオケ喫茶通いには、後から効いてくる大きな意味がありました。カラオケ店経由でオーディションに応募できるサービスがあることを、この時期に知ったのです。実際、そのサービスを利用して高校2年生のときに一度だけテレビの歌番組へ出演しています。人前で評価される場に高校生のうちから立った経験は、いまの表現力の土台になっていると見ていいでしょう。
もっとも、高校時代は順風満帆というわけでもなかったようです。学年全員が友達のような感覚で過ごせた中学時代と比べ、進学校の環境に馴染むのに苦労した時期もあったと語られています。うまくいかない時期に見つけた逃げ場が、結果として人生の武器になった。寝屋川出身の一人の若者の、非常に人間くさい転機です。
その後、おヨネさんは龍谷大学へ進学し、アカペラサークルで歌唱力を磨きました。伴奏に頼らず声だけでハーモニーを組み立てるアカペラの経験は、グループでのコーラスワークにそのまま直結します。堀溝小学校、第七中学校、四條畷高校、龍谷大学。おヨネさんの学生時代は一貫して「歌」で串刺しにされているのがよく分かります。
5. 会社員から夢へ。26歳で見つけたセカンドチャンス
大学卒業後、おヨネさんが就いたのは生産ラインの保守という仕事でした。いわゆる普通の会社員です。しかし歌をあきらめたわけではなく、働きながら片っ端からオーディションに応募し続けていました。この時期の地道さこそが、いまのおヨネさんの説得力を支えている部分だと思います。
転機が訪れたのは26歳のとき。純烈のリーダー・酒井一圭さんが手掛けるオーディションの告知を、通っていたカラオケ店で見つけたのです。そこに書かれていた「個性的な人、大歓迎」という趣旨の言葉に背中を押され、応募を決意します。この「セカンドチャンスオーディション」には約1000人が集まったといわれる激戦でしたが、歌謡曲を歌う応募者が多いなか、おヨネさんはあえてロックバンドの楽曲で自分の色をぶつけ、見事に勝ち抜きました。
合格後、芸能界入りを心配していた両親から励まされ、おヨネさんは上京します。とはいえ道は平坦ではありませんでした。ダンスの経験がまったくなかったため、自分で鏡を買ってきて自宅で猛練習。振り付けの動きが激しく、覚えるだけでも一苦労だったと振り返っています。本当にデビューできるのかという不安を抱えながらの1年間を経て、ようやくデビュー曲のレコーディングにたどり着きました。
6. 2026年4月8日、メジャーデビュー。そして13億回再生へ
2026年4月8日、モナキはシングル「ほんまやで☆なんでやねん☆しらんけど」でメジャーデビューを果たします。デビュー当日のイベント会場には約5000人が詰めかけたといい、おヨネさんもその反響の大きさに驚いたと語っています。関西弁のインパクトと力強さを併せ持つこの楽曲はTikTokを中心に爆発的に拡散し、関連動画の総再生数は13億回を突破。2026年のTikTok上半期トレンド大賞では大賞を受賞しました。
おヨネさんは、キラキラして明るいという理由で気に入っているという黄色の衣装をまとい、独特のキャラクターで世代を超えたファンを獲得しています。駅や街角で声をかけられることも増え、人気を実感していると語る場面も。寝屋川市の広報誌「ふるさとねやがわ」令和8年8月号では、市が誇る出身者としてインタビューが掲載されました。寝屋川出身の有名人リストに、また一人、鮮烈な名前が加わったことになります。
7. 2026年8月、初のライブツアーは大阪公演からスタート
そしていま、モナキは初のライブツアーに向かっています。8月18日の大阪公演を皮切りに、8月19日の名古屋公演、8月24日の東京公演と続くZeppツアー。デビューイヤーにいきなりZeppクラスの会場を回るというのは、この1年の勢いを物語る規模感です。しかも初日が地元・大阪というのは、寝屋川出身のおヨネさんにとって特別な意味を持つはずです。
おヨネさんが掲げる目標は、日本レコード大賞の新人賞、そしていつか出場したいという年末の紅白歌合戦。さらに、会社員時代から作曲も手掛けてきたことから、自作の楽曲をアルバムに収めたいという夢も語っています。堀溝小学校の帰り道に深北緑地で遊び、第七中学校の学園祭でものまねを披露していた少年が、いま紅白の舞台を本気で目指している。寝屋川市民としては、応援しない理由が見当たりません。
8. 寝屋川出身の視点で巡る、おヨネさんゆかりのスポット
ここまでのエピソードを地図の上に並べてみると、おヨネさんの原風景がきれいに一つのエリアに収まっていることが分かります。寝屋川市の東部、堀溝から讃良東町にかけての一帯です。
- 寝屋川市立堀溝小学校(寝屋川市堀溝三丁目10番8号)……おヨネさんの母校。昭和45年に南小学校から分離開校した、地域密着型の小学校。
- 寝屋川市立第七中学校(寝屋川市讃良東町1番1号)……歌のルーツとなった学園祭のステージがあった中学校。卓球部で3年時に部長を務めた場所でもある。
- 深北緑地……おヨネさんが「恐竜公園」と呼んで通いつめた寝屋川の名所。恐竜広場の遊具は寝屋川市の子どもの原体験。
- イオンモール四條畷……第七中学校から約500メートル。学生時代からよく訪れていた買い物スポット。
- 京阪本線・萱島駅……ラジオ番組で本人が最寄り駅として挙げた駅。ホームを突き抜ける大クスノキでも有名。
なお、堀溝小学校と第七中学校はいずれも現役の教育施設です。児童・生徒が学ぶ場所ですので、敷地内への立ち入りや校門前での撮影などは控え、あくまで地図の上で楽しむのがマナーです。
9. なぜ「寝屋川出身」というストーリーがこれほど響くのか
寝屋川市は大阪市と京都のちょうど中間、京阪本線沿いに広がる人口約22万人のベッドタウンです。特別に華やかな観光地があるわけではありませんが、深北緑地のような大きな公園があり、生活の利便性が高く、住む場所としては非常にバランスの取れた街です。
そんな、いわば「どこにでもある郊外の街」から、名もなきという意味を背負ったグループのメンバーが全国区へ駆け上がった。堀溝小学校の通学路も、第七中学校の学園祭も、日本中のどこにでもある風景です。だからこそ、そこから始まった物語は誰にとっても自分ごとになりうる。寝屋川出身という肩書きは、特別な血統の証明ではなく、むしろ「ここから始められる」という証明として機能しているのです。会社員として働きながら26歳で挑戦し、28歳でデビューするという現実的な時間軸もまた、幅広い世代のファンを生んでいる理由でしょう。
10. まとめ|堀溝小学校と第七中学校から、紅白の舞台へ
寝屋川出身のモナキ・おヨネさん。堀溝小学校から帰れば深北緑地の恐竜公園で遊び、第七中学校では卓球部の部長を務めながら、学園祭のステージで初めて人前で歌った。四條畷高校のコーラス部、龍谷大学のアカペラサークルと歌を続け、会社員になってもあきらめず、26歳でつかんだセカンドチャンスから2026年4月のメジャーデビューへ。そしていま、初のライブツアーとレコード大賞新人賞、紅白歌合戦という目標に向かって走っています。
あの深北緑地、あの萱島駅、あの学区。見慣れた風景の中から全国区のアーティストが生まれたという事実は、それだけで街を少しだけ誇らしくしてくれます。8月の大阪公演を皮切りに始まるツアーを、寝屋川からしっかり見届けたいところです。
よくある質問(FAQ)
Q. モナキのおヨネさんの出身小学校はどこですか?
A. 寝屋川市立堀溝小学校です。寝屋川市堀溝三丁目にある公立小学校で、昭和45年に寝屋川市立南小学校から分離開校しました。下校後は深北緑地でよく遊んでいたと本人が語っています。
Q. おヨネさんの出身中学校はどこですか?
A. 寝屋川市立第七中学校です。寝屋川市讃良東町にあり、堀溝小学校の卒業生が進学する学区の中学校です。おヨネさんは卓球部に所属し、3年生のときには部長を務めていました。
Q. 歌手を目指すきっかけは何だったのですか?
A. 第七中学校の学園祭で、同級生のピアノ伴奏に合わせて女性歌手のものまねを披露したことが人前で歌った最初の経験であり、自身の歌のルーツかもしれないと語っています。
Q. おヨネさんの最寄り駅と年齢は?
A. ラジオ番組での発言によれば最寄り駅は京阪本線の萱島駅で、26歳で上京するまで寝屋川市内の実家で暮らしていました。1997年8月15日生まれで、2026年8月時点で28歳です。
参考にした主な情報源
- 寝屋川市 広報誌「ふるさとねやがわ」令和8年8月号/歌謡グループ「モナキ」メンバーおヨネさんインタビュー
- モナキ オフィシャルサイト および 公式SNSのプロフィール
- 寝屋川市教育委員会 学校一覧(寝屋川市立堀溝小学校・寝屋川市立第七中学校)
- 地域情報サイト「寝屋川つーしん」各記事
※本記事は2026年8月3日時点で公表されている情報をもとに作成しています。最新の情報は公式サイト等をご確認ください。
