キーワード:賃貸契約/入居審査/虚偽申告/契約解除/信頼関係破壊の法理/損害賠償請求
賃貸物件の入居申込書には、氏名や生年月日、勤務先、年収、勤続年数、同居人の有無など、多くの情報を記入します。ところが入居後になって「申込内容に虚偽があった」と発覚するケースは、賃貸経営の現場では決して珍しくありません。勤務先が実在しなかった、年収が大幅に水増しされていた、単身契約なのに複数人が住んでいた——。こうしたとき、貸主(大家・管理会社)は賃貸契約を解約できるのでしょうか。損害賠償請求は可能なのでしょうか。本記事では、賃貸契約における申込者の虚偽申告について、契約解除の可否、その法的根拠、損害賠償の範囲、そして実務上の対応手順までを、貸主・借主の双方の視点から分かりやすく整理します。
1.入居申込書でよくある虚偽申告の類型
入居申込書は、貸主が「この人に部屋を貸して問題ないか」を判断するための最重要資料です。入居審査は、この申込書の記載内容が真実であることを前提に行われます。実務でトラブルに発展しやすい虚偽申告には、次のようなものがあります。
- 年収・勤務先・勤続年数の虚偽(無職なのに在職中と記載する、年収を大幅に水増しするなど)
- 同居人・入居人数の虚偽(単身契約なのに家族や恋人と居住する「無断同居」)
- 使用目的の虚偽(居住用と偽って事務所利用、民泊営業、または第三者への「無断転貸」)
- ペット飼育の隠蔽(ペット不可物件での秘密飼育)
- 連帯保証人・緊急連絡先の虚偽(承諾を得ていない人物を記載する、架空の人物を記載する)
- 過去の家賃滞納歴・強制退去歴の秘匿
- 氏名・生年月日そのものの詐称(他人名義でのなりすまし契約)
- 反社会的勢力(暴力団関係者等)であることの秘匿
これらは一見どれも「嘘」ですが、法的な評価はまったく同じではありません。契約解除が認められるかどうかは、その虚偽が契約の根幹にどれだけ影響したかによって大きく変わります。
2.結論:虚偽があれば必ず解約できるわけではない
まず押さえておきたいのは、「申込書に嘘があった=直ちに賃貸借契約を解除できる」わけではないという点です。賃貸借契約は、人の生活の基盤である住まいを対象とした継続的な契約であり、借地借家法によって借主が手厚く保護されています。そのため裁判所は、些細な虚偽を理由とする一方的な解除を容易には認めません。
他方で、その虚偽の内容が「その事実を知っていれば、貸主は絶対に契約を締結しなかった」といえるほど重大なものであれば、契約の取消しや解除が認められる可能性は十分にあります。判断の分かれ目になるのは、①虚偽の重大性、②貸主と借主の信頼関係が破壊されたと評価できるか、という2点です。
3.入居後に契約を解除できる3つの法的根拠
(1) 詐欺による取消し(民法96条1項)
借主が貸主をだます意図をもって事実と異なる申告を行い、貸主がそれを信じて契約を締結した場合、詐欺による意思表示として契約そのものを取り消すことができます。成立には、①欺罔行為があること、②借主に「だます故意」があること、③貸主が実際に誤信したこと、④その誤信によって契約を締結したこと、という因果関係が必要です。
取消しが認められると契約は初めから無効だったものとして扱われ、当事者は原状回復義務を負います(民法121条の2)。ただし実務上、「だます意図」の立証は簡単ではありません。在籍証明書や源泉徴収票の偽造といった客観的な証拠が押さえられているかどうかが、成否を大きく左右します。
(2) 錯誤による取消し(民法95条)
貸主が申込書の記載を前提として契約したものの、その前提が事実と異なっていた場合には、錯誤による取消しが問題となります。年収や勤務先といった「動機」に関する錯誤は、その事情が契約の基礎とされていることが表示されていた場合に限って取消しが可能です(民法95条2項)。入居審査の過程で「年収と勤務形態が審査の前提である」ことが明示されていれば、主張できる余地が広がります。
(3) 契約条項違反にもとづく解除と「信頼関係破壊の法理」
多くの賃貸借契約書には、「入居申込書の記載内容に虚偽があった場合、貸主は催告なく本契約を解除することができる」といった特約が設けられています。もっとも、この条項があるからといって無条件に解除できるわけではありません。裁判実務では「信頼関係破壊の法理」が適用され、貸主と借主の信頼関係を破壊するに足りる背信行為があったかどうかが厳しく問われます。
たとえば、単身契約の部屋に恋人が月に数回泊まりに来ている程度では、信頼関係の破壊とまではいえないでしょう。しかし、契約人数を大幅に超える人数が常時居住し、騒音やごみ出しをめぐって近隣トラブルが継続しているような場合には、解除が認められやすくなります。また、貸主の承諾を得ない無断転貸は、民法612条により、それ自体が解除事由となります。
【ポイント】「虚偽があったから解除する」ではなく、「虚偽の結果として、契約を続けられないほど信頼関係が壊れたから解除する」という組み立てが実務では有効です。近隣からの苦情記録、写真、警察への通報履歴などを時系列で残しておきましょう。
4.解除が認められやすいケース・認められにくいケース
これまでの裁判例の傾向をふまえると、おおむね次のように整理できます。あくまで一般的な目安であり、最終的には個別の事情によって判断が変わる点にご注意ください。
| 虚偽の内容 | 具体例 | 解除の見通し |
| 身分の詐称 | 他人名義での契約、身分証の偽造、なりすまし | 認められやすい |
| 反社会的勢力の秘匿 | 暴力団関係者であることを隠して契約 | 認められやすい |
| 使用目的の虚偽 | 居住用と偽って民泊営業・事務所利用・無断転貸 | 認められやすい |
| 書類の偽造 | 在籍証明書・源泉徴収票・給与明細の偽造 | 認められやすい |
| 無断同居+実害 | 単身契約で複数名が常時居住し騒音・ごみでトラブル | ケースによる |
| 年収の水増し | 年収380万円を400万円と記載した程度 | 認められにくい |
| 結果的な相違 | 契約後の転職・退職で勤務先が申込時と異なる | 認められにくい |
| 一時的な宿泊 | 恋人や友人がときどき泊まりに来る | 認められにくい |
特に反社会的勢力の排除条項(暴排条項)については、公序に関わる重大な事項であり、秘匿していた事実が判明した時点で無催告解除が認められる可能性が高い類型です。契約書に暴排条項を必ず入れておくことが実務上の必須対応といえます。
5.損害賠償請求はできるのか
虚偽申告によって貸主に実際の損害が生じた場合、損害賠償を請求することは可能です。法的な根拠としては、契約上の義務違反にもとづく債務不履行責任(民法415条)、または故意・過失による違法行為にもとづく不法行為責任(民法709条)が考えられます。
ただし、請求できるのは「虚偽と相当因果関係のある損害」に限られる点に注意が必要です。項目ごとの見通しは次のとおりです。
| 損害の項目 | 認められる可能性と考え方 |
| 明渡しまでの賃料相当損害金 | 契約解除後も居座った期間について請求可能。契約書に倍額賠償の定めがある場合もあるが、高額すぎると減額されることがある。 |
| 原状回復費用(通常損耗を超える部分) | 無断ペット飼育による傷や臭い、過剰な人数の居住による損耗など、故意・過失による損傷は請求可能。 |
| 特別清掃費・消臭費用 | ごみ屋敷化、ペット臭、たばこのヤニなど、通常の清掃では回復できない場合に認められやすい。 |
| 再募集にかかる広告費・仲介手数料 | 虚偽との因果関係が説明できれば認められる余地がある。契約書に明記しておくと主張しやすい。 |
| 弁護士費用 | 不法行為構成なら一部(認容額の1割程度)が認められることがある。全額の回収は難しい。 |
| 他の入居者の退去による逸失利益 | 因果関係の立証が難しく、認められにくい。退去理由を示す書面などの証拠が必要。 |
| 物件の評判低下による損害 | 損害額の算定が困難で、原則として認められにくい。 |
なお、詐欺を理由に契約が取り消された場合であっても、借主が実際に部屋を使用していた期間の利益は不当利得となるため、貸主は賃料相当額を請求できます。「契約が最初からなかったことになるから家賃も返さなければならない」ということにはなりません。
6.貸主側がとるべき実務対応の手順
虚偽申告が疑われる場合、感情的に動くと不利になります。次のステップで冷静に進めましょう。
ステップ1:証拠の確保
申込書の原本、提出された収入証明書類、勤務先への在籍確認記録、近隣からの苦情内容、現地の写真や動画などを、日付とともに整理して保存します。後の交渉や訴訟で、この証拠の質が結論を左右します。
ステップ2:事実確認と面談
いきなり解除通知を送るのではなく、まずは借主本人に事実関係を確認します。事情によっては、勘違いや記載ミスであることもあります。やり取りは書面やメールなど、記録の残る形で行うのが鉄則です。
ステップ3:内容証明郵便による催告
無断同居や無断ペット飼育など、是正が可能な違反であれば、期限を切って是正を求める催告を内容証明郵便で送付します。この催告を経ることで、後に解除を主張する際の正当性が高まります。
ステップ4:契約解除の通知
催告に応じない場合、または是正が不可能なほど重大な違反の場合には、解除通知を送付します。解除の理由と根拠条項を明記してください。
ステップ5:明渡し請求訴訟と強制執行
借主が任意に退去しない場合は、建物明渡請求訴訟を提起し、判決を得たうえで強制執行を行います。時間と費用がかかるため、早い段階で弁護士に相談することをおすすめします。
【絶対にやってはいけないこと】鍵を勝手に交換する、荷物を運び出す、電気やガスを止める、といった行為は「自力救済」として違法です。たとえ借主に虚偽があっても、貸主側が損害賠償責任を負い、刑事責任を問われるおそれさえあります。
7.借主側が知っておくべきこと
借主の立場からすると、「審査に通るために少し多めに書いてしまった」という経験がある方もいるかもしれません。しかし、虚偽申告には次のようなリスクが伴います。
- 重大な虚偽であれば契約を解除され、住まいを失う可能性がある
- 家賃保証会社の審査で虚偽が発覚すると、保証を打ち切られたり、他社の審査にも影響したりする
- 損害賠償を請求され、金銭的な負担を負う
- 書類を偽造した場合は、私文書偽造罪や詐欺罪といった刑事責任が問われることもある
収入に不安がある場合でも、預貯金残高の提示、親族を連帯保証人に立てる、家賃の低い物件に変更する、といった正攻法の選択肢があります。事情を正直に伝えたうえで相談したほうが、結果的に良い条件で契約できるケースは少なくありません。また、契約後に転職や収入変動、同居人の追加といった変更が生じた場合は、速やかに貸主や管理会社へ届け出ましょう。届出をしていれば、後から「虚偽だ」と指摘されるリスクを避けられます。
8.トラブルを未然に防ぐ入居審査のポイント
虚偽申告への最善の対策は、そもそも見抜くことです。貸主・管理会社としては、次の点を徹底しておきたいところです。
- 本人確認書類の原本確認と、申込書記載内容との突合
- 勤務先への在籍確認(電話確認)の実施
- 源泉徴収票・給与明細・確定申告書など、収入を裏づける書類の提出を必須にする
- 家賃保証会社の審査を必ず通す
- 契約書に「虚偽記載があった場合の無催告解除条項」「暴力団排除条項」「同居人の届出義務」を明記する
- 入居後も、定期的な巡回や更新時のヒアリングで実際の居住状況を確認する
特に契約書の条項整備は、コストをかけずにできる最も効果的な防衛策です。国土交通省が公表している賃貸住宅標準契約書を参考に、自社の契約書を見直しておくとよいでしょう。
9.よくある質問(FAQ)
Q1.年収を少し多めに書いただけでも解除されますか?
A.軽微な誤差にとどまり、家賃も遅滞なく支払われているのであれば、それだけで解除が認められる可能性は低いと考えられます。信頼関係が破壊されたとまではいえないためです。ただし無職なのに在職と偽るなど、審査の前提そのものを覆す虚偽は別に評価されます。
Q2.同棲を隠していた場合はどうなりますか?
A.無断同居は契約違反にあたりますが、直ちに解除できるとは限りません。まずは是正を求める催告を行い、それでも改善されない、あるいは騒音・ごみなどの実害が生じている場合に、解除が現実的な選択肢となります。
Q3.家賃保証会社の審査に虚偽があった場合は?
A.保証会社が保証を免責・解除する可能性があります。その結果、貸主は保証のない状態に置かれるため、貸主側からの契約解除の主張を裏づける事情のひとつになり得ます。
Q4.解除できた場合、敷金は返さなくてよいのですか?
A.いいえ。敷金は預り金であり、未払賃料や原状回復費用を差し引いた残額は返還しなければなりません。損害額が敷金を上回る場合に、その差額を別途請求するという整理になります。
10.まとめ
賃貸契約における申込者の虚偽申告について、要点を整理します。
- 虚偽があっても、それだけで自動的に契約解除できるわけではない
- 鍵を握るのは「虚偽の重大性」と「信頼関係が破壊されたといえるか」
- なりすまし、反社会的勢力の秘匿、無断転貸、書類偽造などは解除が認められやすい
- 軽微な年収の水増しや一時的な宿泊では、解除は認められにくい
- 損害賠償は請求できるが、対象は虚偽と相当因果関係のある損害に限られる
- 証拠の確保と内容証明郵便による催告が、実務対応の基本になる
- 自力救済(鍵交換・荷物撤去)は違法であり、絶対に避けるべき
入居審査の精度を高め、契約書の条項を整えておくことが、結局のところ最大のリスク対策になります。トラブルが起きてしまった場合には、独断で動く前に、賃貸トラブルに詳しい弁護士へ早めに相談してください。
【免責事項】本記事は賃貸契約に関する一般的な情報を提供するものであり、法的助言ではありません。個別の事案については結論が異なる場合がありますので、具体的な対応は弁護士等の専門家にご相談ください。また、法令や実務の取扱いは改正等により変わることがあります。
